インタビュアー : 田中梓(ブリティッシュ・カウンシル 教育推進・連携部長)
英国での12年間をふり返って
田中 山嵜さんは12年に渡って英国で建築設計に携われてきました。なぜ、海外で働きたいと思ったのか、そして英国を選んだ理由についてお聞かせください。
山嵜 中学生の頃から、日本を外から見てみたいと思っていました。イギリスには歴史ある街並みの中に、フォスターやロジャースなどの優れた建築家が手がけた現代建築が存在している。そこに惹かれました。
ところが、後先考えずにイギリスに飛び込んだものの、いざ就職活動を始めてみて、あまりにも自分が何も持ってないことが分かったんですね。結果的に500社以上の会社にコンタクトを取ることになったのですが、1社目・2社目はすぐに解雇されてしまいました。なぜなら、あまりにも英語が話せなかったから。それでも紆余曲折の末、3社目に迎え入れてもらって。その後、縁あってアライズ アンド モリソン アーキテクツに転職することができました。
12年間イギリスで仕事を続けられたのは、ひとえに人とのつながりに恵まれていたからだと思います。現場から離されそうになったときも、現場のクライアントが勤務先とかけあってくれました。そのときは「ああ、私のことを認めてくれたんだな」と感動しました。
ロンドン五輪から受け取ったもの
田中 山嵜さんが英国にいらした時期は、ちょうど2012年ロンドン・オリンピック・パラリンピック競技大会の誘致から開催までのタイミングと重なりますね。関連プロジェクトにも携われたそうですが、その経験についてお聞かせいただけますか?
山嵜 2003から2004年にかけて、オリンピック・パラリンピック誘致のメインパークの模型制作に携わっていました。その後、五輪開催地区のレガシーマスタープランを作成するプロジェクトに配属されます。これは、開催後を見据えた開発計画で、メインパーク、ロンドン市東部地区を後世にどのように継承するのかを考えるものでした。その後、世界遺産である王立グリニッジ公園を敷地にした馬術・近代五種競技会場建設の現場管理に関わります。この計画は大会期間後、敷地を元に戻すことを前提にしたものでロンドン五輪のサステイナブルという思想を体現した新しい競技場でした。
もうひとつの大きな出来事は、五輪開会式のリハーサルに参加したこと。そこでセレモニーのフィナーレを目にした瞬間、それまで五輪に向けて積み重ねてきた仕事が全てつながりました。そして同時にイギリスに引導を渡された気がしました。「日本に帰って何かを始めなくては」と切実に感じた。イギリスでの12年間に一区切りがついた瞬間でした。
田中 2020年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決まっています。山嵜さんの経験をぜひ活かしていただきたいですね。
ブリティッシュ・カウンシルとの活動を通じて
田中 これまでも山嵜さんにはウェブサイトにコラムを執筆していただいたり、英国留学フェアなどで講演をお願いしたり、私共の活動にご協力いただいてきました。最初にご連絡いただいたのは2009年だったと記憶しています。
山嵜 当時携わっていたキングスクロス・セントパンクラス駅の大規模改修プロジェクトが竣工したタイミングでした。この体験を少しでも日本に伝えることができたらと思ってコンタクトさせていただきました。伝えたかったのは「たいしたことなかったぞ」ということ。すごく生意気に聞こえるかもしれませんが(笑)。外国の設計事務所や建築現場で働くのは大変そうですけど、たんに言葉が違うだけで、実際のプロセスは日本とそう変わらない。大事なのはコミュニケーション能力であって、言葉の問題ではないんですね。
田中 山嵜さんのお話を伺っていると、留学や海外で働くことは、予期せぬものに立ち向かうトレーニングにもつながっているのかな、と感じました。とくに若いときの体験は大切なのかもしれませんね。
山嵜 そうですね。たとえば日本を離れて生活するような決断には、緊張感や痛み、そして孤独をともなうものだとわかりました。でも、孤独と向きあうからこそブレークスルーが生まれる。他人から見たら「失敗」でも、その後の自分のがんばりや考え方によっては自分だけの「正解」になる。私はそう考えています。どうやって自分をノセて心を奮い立たせるか。コラムや講演では、イギリスでの淡々とした日常を私の視点で切り取り、イギリス留学を考えている方、イギリスに興味のある皆さんへ伝えられたら、と心がけていました。
田中 ロンドンで開催された日本留学フェアでの講演でも、日本から英国、英国から日本への双方向の交流活動を、思いもよらない方法で手伝ってくださいました。他ではけっして聞けないような、実際の体験から紡ぎ出された、山嵜さんならではのお話をしていただいたことが印象的でした。
ブリティッシュ・カウンシルに期待すること
田中 日本での活動60周年を迎えたブリティッシュ・カウンシルですが、これからの60年に向かって私たちに期待されることはありますか?
山嵜 イギリスは、自国の文化を世界に発信するというコミュニケーションが得意ですよね。自分の国をどのように見せていくか、どのように世界とつながっていくか。そこに人材と時間とお金をかけている。日本もこれから変わっていくと思うんです。より国際化が進むことで、新たな戸惑いも生まれるでしょう。2020年をめざして世界に向けて日本という国をプレゼンテーションしていかなければならない。そのヒントがブリティッシュ・カウンシルの活動の中にあるような気がしています。近隣諸国も含め世界とどのような関係が築いていけるのか。ブリティッシュ・カウンシルから学んでいきたいですね。
田中 まだまだ英国も進化し続けなければならないですね。国際化がますます進む中で、自分たちも外に出て発信していかなければならないという意識が高まってきたことは、良い方向に動いているような気がします。
山嵜一也にとって「UK」とは?
田中 最後になりましたが、山嵜さんにとっての英国とはどのような存在でしょうか?
山嵜 「My mentor」です。イギリスは私にとって「恩師」のような存在。何もできなかった自分を、ときに厳しく、ときに優しく育ててくれた。建築を通じてロンドン五輪にも深く関わることができましたし、2020年の東京五輪が決定する前の日本に帰国することを決断させたのは最後の「教え」だったのかもしれません。ですので、これからは師匠に恩返しをしていきたいですね。「何やってんだ」なんて言われないように、精いっぱい挑戦していきたいと思います。
田中 本日はありがとうございました。今後の一層のご活躍をお祈りしています。
Profile:山嵜一也(やまざき・かずや)
建築家。1974年、東京都生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学修士課程修了。2001年渡英。2003〜2012年、アライズ アンド モリソン アーキテクツ勤務。2007年より欧州最大級となるハブ駅、キングスクロス・セントパンクラス地下鉄駅の改修工事の現場監理を担当。2012年ロンドン・オリンピック・パラリンピック競技大会のプロジェクトでは、誘致、レガシーマスタープラン、馬術・近代五種競技会場の現場監理などに携わる。2010~2011年、ブリティッシュ・カウンシルの英国留学ウェブサイトのコラムやイベントでの講演などで、英国で働く日常について紹介。2013年帰国。東京を拠点に、個人の設計活動と共に、執筆・講演などを通してロンドン五輪の経験を伝えている。