2019年8月16日(金)、川崎にてフォーラム『孤立や生きづらさへのアプローチ:日本と英国の文化芸術の実践から』(主催:ブリティッシュ・カウンシル、川崎市)が開催されました。精神科医の斎藤環さんや、詩人の上田假奈代さんなど、国内外から「孤立」と「アート」に取り組む実践者が集まったこのシンポジウム、いったいなぜ「孤立」に「表現」が有効なのでしょうか? イベントレポートの後編をお届けします。

「最高のアートは、毎日の料理なのでは?とさえ思います。それによって暮らしを取り戻していける」 

一方で、アートという分野の外から報告を行ったのが、「NPO法人フリースペースたまりば」の理事長・西野博之だった。

西野はこのイベントが開催された川崎の地において、不登校児童・生徒や、ひきこもり傾向にある若者たち、さまざまな障がいのある人々と地域でともに育ちあう場、「フリースペースたまりば」を長年開いてきた。

彼の言葉からは、アートという概念をより暮らしのなかに織り込んでいくべきでは、という姿勢が垣間見える。

西野:経済的な貧困から、関係性の貧困や文化的な貧困が派生します。「孤立」によって、「おいしい」「楽しい」「面白い」といった、「ふつう」「あたりまえ」とされる経験ができなくなってしまうんです。カラオケやボウリングをやったことがない、調理器具もなく生活保護費で弁当を買って食べる……そんな子どもたちはたくさんいます。つまり、暮らしが壊れている。だからこそ私たちは、毎日一緒に昼食づくりをしているんです。最高のものづくり、アートとは、毎日の料理なのでは?とさえ思います。それによって少しずつ暮らしを取り戻していけるんです。

西野博之(NPO法人フリースペースたまりば理事長)
左:べス・ノールズ(サルフォード大学リサーチャー / 英国マンチェスター市 元ホームレス部局 局長)右:ジョン・オーガン(マンチェスター・ホームレス・チャーター立案者)
左:中村美亜(九州大学大学院芸術工学研究院 准教授)

「安心して表現できる、自らの弱さが出せる場所が必要」

フォーラムの第二部であるパネルディスカッションでは、第一部の登壇者たちに加え、ホームレス生活の人々をゼロにするために英国マンチェスター市で策定された憲章「マンチェスター・ホームレス・チャーター」の立案者であるジョン・オーガン、マンチェスター市の元ホームレス部局長でありサルフォード大学リサーチャーのベス・ノールズ、モデレーターとして九州大学大学院准教授・中村美亜が顔を並べた。

議論は多岐に渡ったが、「アートは『孤立』に有効でありつつも、やみくもに称揚すべきではない」と、各人が考えていたことは大変興味深かった。

「孤立」や「生きづらさ」を抱える人に、アート万能論を振りかざして「さあ、表現しましょう!」と迫るのでは、当の本人の気持ちも離れていく。

登壇者たちの言葉でいえば、「表現することが素晴らしいのではなく、表現できる場があることが素晴らしい」(上田)ということなのだろう。安心して表現ができる場が構築されているということは、そこで自らの「弱さを出せる」(西野)ということでもある。

近年話題の精神療法のひとつ、医療スタッフが毎日ひたすら患者と対話する「オープン・ダイアローグ」の研究を進める斎藤もこのように語った。

斎藤:(開かれた対話である)オープン・ダイアローグを終わらせてしまう代表的なトピックが「正しいこと」「大事なこと」「重要なこと」。そういった話を患者にしてしまうと、たちまち心を閉ざされて、会話は終わってしまいます。「正しくないこと」「大事じゃないこと」「重要でないこと」が存在する場でないと、人は安心して語れないのです。

マンチェスター市職員や大学のリサーチャーとして活動してきたベスが、これらは「権力」の話でもあると発言したのも見逃せない。

ベス:英国において、文化芸術プロジェクトが「孤立」した人々に手を差し伸べるにはどうすればいいかという話をすると、当事者から「そっちのほうが手の届かないところにいるんだ」と言われます。

対話のオープン性と、アートや文化活動へのアクセスのオープン性。異なるトピックのようでありながら、そこには通底する問いが見え隠れする。

斎藤は「当事者の言葉を聞き取り、関わっていくのであれば、われわれは専門性を脱ぎ捨てて、脇に置くべきです。専門家としてやっているうちは、なかなか当事者との協働は難しいですから」と述べ、「孤立」する人々の思いや生き方に対して、「こうである」と決めつけてしまう支援側の「専門性」を、こうしたプロジェクトの担い手たちが自覚する必要性に言及した。

アートや表現には、たしかに人を変える力がある。しかしそれを過信・盲信すること、他者に押し付けることは、孤立した当事者たちと社会との関係性をあらためて繰り返すことにもなる。

この日の議論はそれこそ、私たち一人ひとりが「専門性」や「あたりまえの世界」、つまり画一化された価値観の「外」へ意識を開くことの重要性を、またその「外」の当事者として、誰もが「孤立」することの可能性を説いていた。もし自分が「外」の立場になった場合、また「外」にいる人々が目の前に現れた場合、お互いの断絶をやわらかく解除する「オープンな場」こそが、孤立を包み込んでくれる。登壇者たちが語ったように、もちろんそこには難しさも、やりがいも、そして喜びもある。

それらは、私たち一人ひとりが生きるうえで、逃れることのできない問題なのである。

フォーラムレポート前編

テキスト:宮田文久 撮影:相良博昭 編集:佐々木鋼平(CINRA, Inc.)