トラファルガースクエアで演奏するロンドン交響楽団
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London Symphony Orchestra

ロンドン交響楽団(LSO)のレイチェル・リーチ(アニマトゥール)、ピア・ラック(プロジェクト・マネージャー)に聞く

今年30周年を迎えるLSO Discovery[LSOの教育およびコミュニティ・プログラムの総称]は、赤ちゃんからお年寄りまで、あらゆる世代を対象にしたきわめて幅の広い教育プログラムだ。オーケストラの教育部門としては世界でもっとも大きい規模を持ち、スタッフは全部で16人いる。でも最初は1990年に2人からスタートしたという。黎明期についてリーチは次のように語る。

「そもそも、これは楽団員たちから始まった活動でした。そこがユニークかつLSOらしい点だと思います。ある時フランシス・ソーンダーズというチェロ奏者が、学校を訪問して演奏する活動を始めるべきではないかと提案し、10人ぐらいの奏者がロンドン東部の教会に集まって、とにかくやってみようとことで始まったのです。ところが誰も何をどうやってよいかわからなくて、そこでのちに初代アニマトゥールとなる、リチャード・マクニコルに相談したのでした。マクニコルはロンドン・フィルの元フルート奏者でしたが、辞めて自ら活動を始めていたところでした。彼は理論的な音楽家として知られていたので、奏者たちは彼と組んで、LSO Discoveryを立ち上げたのでした」

ちょうど1990年代の英国では、アーツカウンシルから、オーケストラも演奏のみならず教育活動に力を入れるべきという方針が打ち出されていた。その一方で、初等教育のカリキュラムからは音楽の科目が消え始めていた。そこに楽団員たちが何か新しいチャレンジを求めるといった流れが重なり、こうした活動を後押ししたといえる。

「マクニコルは自身の役割をアニマトゥール(Animateur)と名付け、LSOでは代々この名称を引き継いでいます。またこの教育プログラムに「Discovery(発見)」という名称を付けてブランド化したのもマクニコルで、その意味でも彼はとても先見の明があったと言えます。すなわちLSO DiscoveryはLSOの組織の一部でもありますが、それ自体が一つの確立したブランドであるということなのです。このことは私たちにとってとても大切なことです」とリーチは話す。

アニマトゥールのレイチェル・リーチ
アニマトゥールのレイチェル・リーチ
日本で音楽づくりワークショップを行うレイチェル・リーチとピア・ラック
日本で音楽づくりワークショップを行うレイチェル・リーチとピア・ラック

LSO Discoveryは、LSOの本拠地であるバービカン・ホールにきわめて近い、LSOセント・ルークスという音楽センターを活動の拠点としつつ、さらに主に東ロンドン地区の学校や病院、施設などにも出向く。LSO Discoveryのプロジェクト・マネージャーの一人であるピア・ラックにその活動の概要を説明してもらった。

「Discoveryの部門は、大きく分けてファースト・アクセスのチームとネクスト・ジェネレーションのチームに分かれています。ネクスト・ジェネレーションのチーム(4人)は次世代の音楽家の育成にかかわるプログラムを担当し、ギルドホール音楽演劇学校と連携したプログラム若手の作曲家のためのプログラム、またロンドンの音楽大学の弦楽器奏者の体験コースなどがあります。

もう一方のファースト・アクセスのチームはかなり規模が大きいので、一言では説明しきれないのですが、スタッフは合唱チーム、コミュニティ・チーム、LSO On Trackチーム、学校プログラム、デジタル・プログラムなど複数のチームに分かれています。そのうち例えばコミュニティ・チームは、病院訪問、障害のある青少年および大人のアウトリーチ・プログラムなど外に出向くプログラムと、LSOセント・ルークスで開催される諸プログラムを担当します。セント・ルークスで行われる活動としては、障害のある大人たちが毎月一回集まって、LSOの奏者と一緒に演奏したり作曲したりするLSO Createというプログラムがあり、長年同じ人達が集まる結束の強いグループです。彼らはLSOの公開リハーサルやコンサートにも参加します。

またMake Music Dayというプログラムは障害のある子どもとその家族のための活動で、セント・ルークスの建物を全部使って、一日中さまざまなアクティビティを行います。本人のみならず、家族全員で楽しめるので好評です。コミュニティ・チームはその他にも、5歳以下の子どもたちのためのコンサートや、保育園や学童保育などに出向く活動も行っています」

一方、LSOがロンドン東部の10の区(Borough)のミュージック・ハブ[区内の学校に音楽教師を派遣するサービス]と連携して行うプログラムはLSO On Trackと呼ばれている。

「日本の皆さんにも興味深いと思うのですが、On Trackは実は2012年のロンドン・オリンピックのレガシーなのです。オリンピック開催の際に、ロンドン東部の10の区が“Olympic Gateway Boroughs”として制定されました。あの時に開会式で、LSOが子どもたちと一緒に演奏をしたのをご記憶だと思いますが——そう、ミスター・ビーンが出た場面です——あの子どもたちはこれらの区の出身でした。LSOはそれを引き継いで、この地域での音楽教育プログラムをOn Trackと呼んできました。

たとえば、毎年LSOはトラファルガー広場で無料の野外コンサートを行いますが、その時には必ずOn Trackの生徒たちがLSOと一緒に弾く場面があります。また、サイモン・ラトルがLSOの音楽監督に就任した時も、On Trackのオーケストラを指揮するコンサートが行われました」とリーチは説明する。

リーチ自身が担当するのはOn Trackの中の教員だ。これは、Discovery流の教育モデルをこれら10の区の小学校の先生に伝授する一年間のコース。毎年合計5〜20人の先生が参加、各学期5回ずつ集まり、年間を通して3つのプロジェクトを行う。プロジェクトは英国の初等教育のKey Stage 2の子どもたち[小学校高学年=8〜11歳]を対象にしている。

「私が先生たちに毎回さまざまなアクティビティのアイディアを与え、学校に持ち帰って実施する課題を出します。たとえば今学期は、各学校で自分たちの《ボレロ》を作っています。先生たちには、子どもたちと一緒にどう《ボレロ》を作るかというツールを与え、学期の最後に楽団員たちと私が学校に行って一緒に演奏するという内容です」

LSOの楽団員たちはDiscoveryのプログラムにどの程度参加しているのだろうか?

「LSOの楽団員の90%が、何らかの形でDiscoveryに関わっています——もちろん日々の活動すべてに参加するわけではありませんが。おそらく他のオーケストラでは楽団員の参加率は10%程度ではないでしょうか。たとえば私が行うTeacher Training Courseでは、学期5回のうち、2〜3回は楽団員が参加します。また、病院訪問やDiscoveryコンサートにも必ず楽団員が参加します。LSOの忙しいスケジュールの中でも、Discoveryへの参加は優先順位が高いのです。今回来日しているロバート・ターナー(ヴィオラ)とアマンダ・トゥルーラブ(チェロ)も、公演を降り番にして参加しているのです」とリーチ。

またラックは次のように補足する「もちろん楽団員によって得意な分野が異なるので、誰でも病院や施設で気後れせずに演奏できるわけでもないですし、そのスキルを持ち合わせているわけではありません。でもその代わり小学生向けのコンサートに参加したり、他のDiscoveryのプロジェクトに参加したり、あるいは現代音楽が得意で若手作曲家のプロジェクトに参加したり。Discoveryプログラムがきわめて多岐にわたるので、ほぼ全員が何らかの形で関わることができるのです」

最後にリーチはこう結んだ。「私たちの行う教育プロジェクトは、ほとんどが何らかの形でオーケストラの楽曲をベースにしています。私自身はゼロから即興で音楽を作るというやり方はしません。たとえば今回の日本でのプロジェクトではムソルグスキーの《展覧会の絵》を土台にして、いろんなグループと一緒に音楽を作ってきました。それは結局のところ、なぜLSOというオーケストラがこうした活動をやっているのか、という根幹に関わることなのです。私たちはつねにそこに立ち帰りつつ、今後とも活動をしていきたいと考えています。」

(取材・文=後藤菜穂子)

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