音楽を演奏する実感とは、どこから来るのか?
ドレイクからトークのバトンを受け継いだのは、楽器インターフェイス研究者の金箱淳一氏。「そもそもインターフェイスとは何かと何かの接点、媒介のことですが、私自身は楽器を通して人と人をつなぐ研究をしています」と言う金箱氏は、以前玩具会社で働き、その時知った障害のあるなしに関わらず楽しめる「共遊玩具」からヒントを得た「共遊楽器」を研究中だ。また並行して、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科付属メディアデザイン研究所リサーチャーとして、人間の「触感」に根ざした新しいデザイン手法を模索するプロジェクト「Haptic Design Project(ハプティックデザインプロジェクト)」にも参加している。そんな彼の活動事例で印象的だったのは、約10年前に開発したと言う楽器Mountain Guitar。
「この楽器は一言でいうと弦がないギターです。構えている高さで音程をコントロールし、本体を傾けるとチョーキングすることができるようになっています。つまり、全身の感覚を使用して楽器を演奏するので、失敗がありません。僕はこのMountain Guitarを通じて、音楽を表現するって楽しいと思ってもらいたいと願い、作りました。」
そんなMountain Guitarは反響を呼び、オーストリアやトルコなど、海外も含めてさまざまな場所で展示の機会に恵まれた。そんななかで、金箱氏はあるひとりの体験者と出会う。
「“この楽器、音はすごくかっこいいね。だけど、楽器を弾いている実感がない”と言われたんです。実感か、とはっとさせられました。そもそもこの実感とはどこからくるものだろう? という疑問が沸き立ったんです。この問いは、自分の研究そのものを揺さぶりました。そして考え抜いた結果、たどり着いたのが“振動”です。そもそもMountain Guitarは、演奏者の動作をセンサーによって取得し、そのデータをPCに送って、PCのスピーカーから音が出るというシステムなので、振動がありません。一方で例えばアコースティックギターを弾いたら、筐体が震えます。強く弾けば強く震えますし、繊細に爪弾けばやさしく震える。つまり演奏の実感には、楽器を弾いた時の振動のフィードバックがものすごく関わっているのではないかと思ったんです。」
この考えのもと、生まれた楽器がVibracion Cajon(ビブラションカホン)。叩くとその振動が他のプレイヤーに伝わる打楽器として、金箱氏は開発した。
「自分が演奏した時の振動を、他の人に伝えてあげたらどんなコミュニケーションが可能になるのか。振動を伝え合った方が、相手を近くに感じるのではないか。一緒に演奏し合う実感が持てるのではないか、と。実際に聴覚障害のある子どもがこのビブラションカホンを叩いたときに、“あっ音が聴こえた”と言ったんです。その感想をもらったときに、嬉しかったと同時に音が聴こえるとはどういうことなのか。その概念も一度見直さなくちゃいけないと思いました(笑)。」
障害とは何か。それに向き合うとき、人はときに自分の固定概念に気づかされる。音楽とは聴覚だけのエンターテイメントではない。人間は肌でも音を感じているし、視覚でも感じることができる。そんな音楽を楽しむことの可能性が、金箱氏を通して広がっていった。
既存の演奏のかたちから、自由になる
金箱氏からバトンを受け継いだのは、楽器デザイナーの中西宣人氏。日本大学芸術学部で研究員をしながらフリーランスとして、音楽セッションの場をつくることをテーマに、さまざまな電子楽器を企業や特別支援学校と一緒に開発している。そんな中西氏のトークのテーマは、「アクセシビリティと楽器」。
「僕の一番大切にしている思想は、誰もが音楽表現の探索の共有ができる、プラットフォームのような楽器を生み出すことです。ではなぜそう考え始めたのか。その原点は、大学時代に即興セッションにのめり込んだことです。当時、僕は上級者の方に叩かれながら練習を積んでいました。というのも即興セッションは、かなり知識や技術に重点を置いた音楽だったんです。セッションするにあたっての楽曲やアドリブ演奏、またソロをまわす順番にもルールや共通言語がありました。そういうなかで練習を積むうちに、“もしも知識や技術の壁がなかったら、人はどんな音楽表現ができるのか?”という問いが生まれ、次第に“知識や技術に左右されないセッションの場をつくりたい”という気持ちが強くなっていったのです。」
ルールや共通言語は親密なコミュニティを生む一方で、溢れてしまう人がいる。これは音楽に限ることではないと思う。その上で中西さんは比較的自由にインタラクションの設計ができる電子楽器やインタラクティブ・アートの世界へ進み、そこで着目したのがセンサーだった。
「例えば僕が大学院時代に開発したPOWDER BOXは、圧力センサーや接触位置センサーなど、操作部分のインターフェイスを自由に差し替えることができるので、簡単に自分で奏法をアレンジできるんです。つまり、それは既存の演奏のかたちから自由になるということ。またデバイス自体を傾けることで、音量を調整することが可能です。そのコンセプトを生かしながら、約3年前には我々にとって身近な電子機器であるスマートフォンのさまざまなセンサー(磁力、加速度、明るさ、コンパス)を演奏に利用できる音楽アプリTRI=NITROも作りました。複数台で同期ができ、さまざまな奏法で即興的にセッションが楽しめます。また、このようなシステムを応用して、特別支援学校教員の方と電子打楽器を作り、授業でのアンサンブル演奏実践を行いました。」
演奏のかたちから自由になるなんて、想像したこともなかった。でも、そもそも社会の常識を、いつも自分の常識とする必要はないのだ。中西氏のような柔らかな感覚であらゆる物事を見つめていったら、障害のあるなしに関わらず世界はもっとわくわくする場所になる。そう感じた。「万能なテクノロジーはありません。けれど、テクノロジーは目的にあった道具としては最良なものです」中西氏のこの言葉もまた、印象に残っている。
“disability”ではなく、“this ability”
中西氏に続き「アクセシビリティ」をテーマに、最後にスピーカーとして、事例を語ってくれたのは、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の修士課程で義手楽器Musiarm(ミュージアーム)を開発している畠山海人氏だ。
「義手は、その機能を通して豊かな日常生活を送るための道具ですが、僕はMusiarmの開発を通して、従来の楽器を支える、押さえるなどの機能を補うものではなく、音楽表現そのものを実現する義手を提案しました。というのも義手に関する研究は、日常生活における機能面の充実が主導に置かれていて、スポーツができる義手や、楽器として弾くことができる義手といった、エンターテイメントに着目した提案が非常に少ない現状があります。そのジレンマのなかで、機能重視のメカニカルな義手だけではなく、ライフスタイルに特化した義手があってもいいのではないか、と考えたのです。それで生まれたのが、エンターテイメント性の拡張や繁栄を目指した、音楽 x 義手 = Musiarmです。」
Musiarmの弦は、交換の必要がない素材を採用。また通常ギターを弾く前に不可欠なチューニングの必要もなく、身体動作で音を自在にコントロールすることができる。これらの機能はすべて義手を使う当事者が中心となって構成されるNPO法人Mission ARM Japanと共に開発を進めた。「ひとり一人の身体的特性から生まれる表現を大事にし、楽器を体の一部として機能させることを目標に完成させました。何より音楽を奏でることへのモチベーションの向上に繋がっていくことを願って。」
畠山氏には目標がある。それはさまざまなMusiarmを開発することで、多様な人たちが自分の好きな楽器パートで参加して、バンドやオーケストラを組めるようになること。そしてライブを行うのが夢だと言う。「“disability”。この言葉を“この能力”=“this ability”として捉え直し、当事者の演奏が聞き手を魅了する。そんなMusiarmを作っていきたいと思います。」
セッションレポート前編
編集・文:水島七恵