1日の議論を振り返るクロストーク
アクティビティやトークを通じてPlayable について議論した1日を振り返るクロストークでは、街をPlayableにしていこうとする時に直面する公共における包摂性や対話の不足といった課題、期待されるクリエイティブ・プロデューサーの役割などが議論された。パネリストに加えて海外からの参加も含めて一般参加者からも意見が寄せられ、熱く濃い1日の会議は、Playがつなぐ新たなグローバルネットワークへの期待へとつながっていった。
【スピーカー】(敬称略、登壇順)
- 齋藤精一 / 株式会社ライゾマティクス 代表取締役社長
- クレア・レディントン / ウォーターシェッドCEO、クリエイティブ・ディレクター
- 若林恵 / 黒鳥社 代表
- ティーン・ベック / アーティスト、リサーチャー
- 三輪美恵 / 東日本旅客鉄道株式会社、執行役員 事業創造本部 新事業・地域活性化部門部長 兼 品川まちづくり部門部長
リスクは人生の一部であり遊びの一部である
齋藤精一 僕は今日一日を通して、押せば誰でも遊びに参加できるスイッチのありかについて考えていました。世の中にはプレイしたい人ばかりじゃなくて、スイッチが奥に入っちゃってる人もいる。そうしたポジティブになれない人も含んでいるのがPlayable Cityのいいところだと思います。今回JR東日本さんにこの会をサポートしていただきましたが、このプロジェクトに賛同していただいている理由について伺えますか?
三輪美恵 私は品川で操車場跡の13ヘクタールの土地に街をつくるプロジェクトに関わっていますが、街のハードはつくることができても、街がどのようにつくられていくかは、そこに集まる人、住む人や働く人が関わるものです。人が楽しく自由にやりたいことができる、いろんな集まり方が可能な街ができたらと思っていて、それが今回のPlayableというテーマと意識を共有しているように感じました。また、東京の魅力が海外の方の眼にどのように映るのかにも興味がありますね。
クレア・レディントン Playable Cityの大切な課題として、誰がそこで遊ぶのか、誰に向かってその場が開かれているのか、そうした公共空間の中での包摂性の話がありましたね。東京の2020年を考えるときにも、どのように人々を招き入れ、バリアをいかに取り除くかを考える必要があります。
ティーン・ベック 今日あまり話さなかったことに、遊びとリスクの関係があります。いま世界中の都市がリスク回避傾向にあり、公共空間の安全性や監視を高めてリスクを防ごうとしています。しかし実は、遊びとリスクは非常に密接しているのです。リスクを取ることによって学び成長できる。柵や禁止のサインがなくても機能する社会があれば、とても美しいと思います。リスクは人生の一部であることを認め、遊びの一部として受け入れることも、Playable Cityを推進するうえで重要だと思っています。
若林恵 自由と安全はトレードオフの関係で、リスクの考え方は非常に難しくなっています。デジタル化が進んで多様な人が暮らす都会では、どこにリスクが潜んでいるのかわからない。テロリストが隣にいるかもしれないし、それが分散かつモバイルな状況にあっては、壁を立てるような考え方も、悪い腫瘍を取るようなやり方も通用しません。いままでのセキュリティとは違った新しい方法を考える時に、新しいタイプのプロデューサーが必要になるのかなと思います。
齋藤 アクセルをデザインしたら必ずブレーキもデザインしなければコントロールできないのと同じことですね。それをデザインするのがクリエイティブ・プロデューサーの役割だと思います。
公共空間は誰のものか
クレア 私たちは英国で、公共の場は特定の階級や著名人のものではなく、社会の誰もが参加できて楽しめる場所であるべきだと考えています。日本では公共の場はどんな人が使っていますか。そして将来どんな人に使ってほしいですか。交通機関は新しい人を運んでくるでしょうか。
三輪 誰かを排除せずに、多様な人が使えることが理想的な公共空間だと思いますが、簡単なことではないと承知しています。インドネシアのジャカルタに住んでいましたが、日本よりもセキュリティが厳しく、自邸の敷地に入る時にも毎回車の下までチェックされました。排除せずにどう解決していくかは非常に難しい課題だと思います。
若林 日本では、公共の場から誰も排除してはいけないというと、じゃあ誰も入れないようにしよう、という不思議な平等をとるんですね。行政も企業も「みんな」という言葉が好きですが、その「みんな」の考え方は60〜80年代くらいの、「みんな」が似たような家族構成で似たような収入という中流を夢見ていたころの設定なんです。今そのイメージで「みんな」というと、異常なくらい排他性が高い。そのことに日本の企業や行政は無頓着だと感じます。
ティーン 日本でPlayが発揮できる場所はどこでしょう。子どもにとって公園が遊び場であるように、みんなが遊べる具体的な場所はどこですか?
齋藤 ここは遊べる場所だと全員が思えるところは日本にないんじゃないでしょうか。いわゆる公共空間ではなにをやってもいいという考え方は、もはや日本人にはありません。むしろ「やってはいけない場所」として公共空間が認識されています。僕には8才の子どもがいますが、公園はボール遊びをしてはいけないところで、専用のグラウンドに行くものだと思ってる。そういう発想の世代が生まれているので、どこかで固定概念を変えることが必要なんです。今オリンピックを前に東京のあちこちに公共空間ができていて、運動の機会を公園で増やそうという動きもあります。公共空間の使い方を再定義するのは今しかないと思うんです。