公共空間を遊び場として再定義する
東京を訪れて街をリサーチし、制作を行ってほしい。そんな知らせをもらえるなんて、なんてうれしいことだろう。私の作品の多くは公共空間を遊び場として再定義するもので、マシソン・マルコーとして制作する身体の動きを伴うゲームの開発においても、Now Play Thisの展示レイアウトのデザインを手掛ける時も、まずは人々が空間をどのように使うかリサーチすることから始める。したがって日ごろから多くの時間を、いろいろな場所で人がその空間とどうかかわり、そこでどんな行動をとるかを観察しながら過ごしている。
場所の社会的文脈をどう理解し、行動するか
5歳以上の年齢の人が公共空間で遊ぶことを促すとなると、その場所の社会的文脈、例えば一定の行動パターンを生む暗黙のルールや複数のグループのなかでの振る舞い方などを理解することが相当に必要だとこれまで何度も実感させられてきた。コンピューターゲームなど画面の中の遊びはすべての行動があの魔法のような四角い枠内で完結し、周囲の人とのリアルな関係性を気にしなくて良い「安心感」がある一方で、実空間のなかでのやりとりは適切性・安全性に関する共通のルール・価値観に依存するため、周囲の人に迷惑になるような状況ではなかなか遊びが起こりにくい。
私の場合、ロンドンの公共空間のルールであればよく知っている。最低限の行動基準がなければ当然通勤ラッシュなどは大変な混乱状態に陥ってしまう。そのためにホームでの乗車位置(先発の電車に乗る場合はホーム前方、次発、次々発の電車に乗る場合は後方に並ぶ)、エスカレーターでの立ち位置(ロンドンでは右側に立ち、左側を歩く。東京は逆。)、電車内で許される行為(ロンドンでは化粧をしたり、パートナーを抱擁するのはよいが、知らない人に話しかけるのはマナー違反。ラッシュ時のピークでは一切の会話が嫌がられる)があらかじめ決まっている。
場所が変われば、当然ルールも変わる。東京での電車の乗車位置は乗客同士の暗黙の了解によって決まるのではなく、ホームに引かれた線で示されている。また朝の通勤ラッシュ時には女性専用車両が設置されている。何百万人もの乗客が同じ時間帯にできるだけストレスなく職場まで移動できるようにするという最終的な目的は同じなのだが、その達成方法は場所ごとに大きく異なるのだ。
私は公共の場ではどんな遊びのルールが設定されているのか、その場所が遊びに適し、安全だという判断基準はどこにあるのかなど、好奇心を膨らませ東京にやってきた。遊び場、アーケード、堅い雰囲気のオフィス街、クリエイティブスペースを見てまわったが、そこで目にしたデザインやさまざまな活動は遊びに溢れていた。つくづく感じたのは、大都市がいかにさまざまな活動を許容し得るか、また画一的な日本のイメージを裏切るものがいかにたくさんあるかだった。例えば、公の場では大人しく振る舞うのが日本人だと思われているが、ワールドカップや祭礼の時は街が見事な混沌に陥る。お祭りでは高々とそびえ立つ山車が、大声を上げ活気に満ちた人々に引かれ、辺りは喧騒と鮮やかな色彩に溢れる。その時だけは社会規範が覆され、街中が一変するのだ。
遊びは社会のなかでどう位置づけられるのか
私は単に遊びの要素を含む行動の事例を探すことから、社会のなかで遊びがどう位置づけられているのか、社会ルールの変更がどのようにして支えられているかに目を向けていった。そこでいくつかのプレーパーク(「冒険遊び場」、「がらくた遊び場」とも呼ばれる)をまわった。これは子どもたちが森のなかで自由に駆け回り、好きにモノを作ったり、壊したりすることができる場所で、遊び道具や水場が用意されているほか、プレーワーカーが大きな問題が起こらないようそっと子どもたちを見守っている。危険なことがあれば大人が介入してくれると期待するのではなく、子どもたちが仲間と一緒にリスク管理することを学ぶ場なのだ。子どもたちはホースを持って走り回ったり、高い所から飛び降りたり、土遊びをしたり、基地を作ったりするなかで自立心が芽生え、どこからが行き過ぎた行動なのかを自ら判断するようになる。遊び場は公園の他のエリアからは明確に区別され、そのなかでのルールがはっきり書いた看板が立っている。
一方、秋葉原ではスタンプラリーが開催されているところに遭遇した。とあるアニメ番組のファンたちがオリジナル景品目当てにエリア内をまわってスタンプ集めていた。その行為自体はファンでなければとりたて重要な意味を持たないが、普段であればアニメを観るだけに留まっている人たちが、現実社会で積極的に関係を深め合い、コミュニティー形成をしているのだ。そこには特に物理的な仕切りはなく、エンターテイメント会社、地元ビジネス、ファンの間での合意のもと、ある期間だけファンの世界が街中に溢れ出るのだ。(一方近くの建築事務所では、「ありきたりの公園ベンチはやめて果物型のベンチを採用すべきだ」という手の売り込みが日々行われているに違いない。ちなみに私はこの案に大いに賛成したい。)
どう遊びを誘うか
リサーチ滞在の間、カラーテープを使って舗装された道路にけんけんぱ(英国の「ホップスコッチ」に相当する)を改良したものを作り、一時的な遊び場を設置できないか試した。このやり方で子どもや若者の気を引くことができるということがわかった。彼らはそれまでやっていたことを一旦止め、遊びを試しにくるのだ。そして、ただ通り過ぎてしまっていてはできなかったであろう体験をし、少し笑みを浮かべながらうれしそうに去っていく。更に、もっと明確な誘い方をすれば遊びに参加する人の幅も広がることもわかった。今はいかにより多くの人を公共の場での遊びに誘うことができるかを模索している。都市を探索するなかで目についたルール変更の引き金となるきっかけを用い、それが遊びを誘うのにどれだけ効果的なのか、いかに街中に喜びを増やせるかを追求している。
今回のリサーチ滞在の記録写真