「和」の概念を通して
今回の滞在成果を《「和」の探求 一》と題した。これは「和」の概念(この言葉は「harmony」[調和]、「peace」[平和]、balance[均衡]といった英語に訳すことができる)に着目し、それを人、自然、テクノロジーの関係性のなかに見ていく最初の試みである。今回のプロジェクトは、扱っているテーマも含めPlayable City Tokyoのレジデンスプログラムから直接生まれたものである。
今回のレジデンスは、自分の実践や自分が本当にやりたいことを明確化するきっかけにもなった。前回(6月末)と今回(9月末)の東京訪問の間の期間で日本の歴史、文化、芸術、デザイン、宗教のリサーチをさらに進め、また言葉の理解を深めるために毎週日本語の授業も受講した。これら得た洞察すべてが神道、そして「和」というコンセプトにつながっていった。
私は自らの実践においていま自分がどんなステージに立っているのか、また東京という場所や今回の滞在から何を受け取ったのかを反映させたいと考えて《「和」の探求 一》を制作した。
庭の中に入ることで成立する観賞体験
私にとってアートはすばらしい体験をつくり上げることを意味する。鑑賞者は一定時間その体験に没頭し、さまざまな感覚を刺激される。優れた作品に出会ったとき、鑑賞者はそれと直感的につながることができ、その体験に入り込んでいるがゆえにそれを批評したり過度に分析したりすることもない。とはいえ、ここまでのものをつくり上げるのは至難の技で成功例も数少ない。しかし、作品とつながったとき、鑑賞者は「いま」という時間のなかに意識的に「いる」ことができる。そんな状態において初めてアートの変革的な力が発揮されるのではなかろうか。私はまさにそんな作品をつくってみたいのだ。
今回私は本物の木々や草を「動かす」という案を追求していくことにした。度重なる試行錯誤の末、植物が1ダースほど植えられた屋内用の花壇ができ上がった。その花壇を大きな庭の一部に見立て、植物の動きや鑑賞者と自然の関係性を探っていくことにした。今回の考察では植物の間を通る「そよ風」を用いた。風は自作のソフトウェアとモーターで操作している。風が植物の合間を通っている様子をリアルに再現できれば、より大規模な庭でも面白い体験が実現できるのではないかと考えた。最終的なアウトプットとして考えているのは、絵画のように外から観るのではなく、鑑賞者が庭の中に入ることで鑑賞体験が成立する大きな庭のような作品で、それに比べると《「和」の探求 一》はまだ小規模なプロトタイプにすぎない。